誕生 現在、遊現工房がある同じ江別の角山に産まれ、ここは、江別でも電気の来ていない珍しい場所、父と母
は、お見合いで結婚し、この北の国からの世界のようなところで2歳くらいまで育ててくれ、現在の野幌
に分家し移住
職歴 某、航空電子機器メンテナンス会社に高校卒業後就職したが直ぐに辞職
  ヨーロッパ一人旅に出かける、放浪かな...
スイスを中心に現在もありますがユーレイルパス(ヨーロッパを自由に旅行出来る鉄道パス)を使い自由
旅、スイスからオーストリアのインスブルックが気に入り、そこを拠点に数日後には戻り、優しい叔母さ
んのペンションに出入りしながら約一月の旅行を楽しみ、なんとなく海外を経験、後に旅行代理店の仕事
に結果的には役に立った感じです
  帰国後、父のレストランの準備を始める エーデルワイスの開店
父は、野幌で酪農を始めるときにも牛舎を大工さんと共に建てるなど、多くの影響を受け、エーデルワイ
スも自分の手で改装を考え、ぶらぶらしていた私も手伝い、全て自分たちでエーデルワイスを改装し、当
時珍しいスイス料理のお店としてオープン 多くのTV局の取材受け、本当に賑わい田舎に建てたのに、
多くの方が訪れてくれる、隠れ家的でもブームになり成功した例だと思います
現在は、農家レストランも増え、父の老後をのんびりするためのお店になっています
旅行業に エーデルワイスに来ていたアルバイトの学生に誘われ、近畿日本ツーリストの添乗員のアルバイトを始め
る(内緒ですが、その頃は正社員のふりをするのに大変)
数年後、近畿日本ツーリスト(当時業界2位か3位)の子会社に誘われ社員に登用されラッキーでした
現在の仕事のきっかけに ほぼ、全世界を担当させてもらい本当にラッキーだと思いました
ヨーロッパの放浪の経験で、当時のお客様には悪のですが、初海外添乗がフランスのパリ、指示された
たと時にはビックリ、何となく知っているけど、数十人のお客さんを連れて、アンカレッジは大丈夫か
な当時は北回り北極経由が主流、びびりながらも何とかこなし、数え切れない国を訪ねさせて頂いて(
お客様のお金で)金額にしたら億はかかるでしょうね 涙が出るほど良い経験でした
この時ちょうどオーストラリアブーム、北海道に住みながら毎週オーストラリアに行く感じの生活、夢
のような生活、若かったからでしょうね 
その時に、バスの中で販売するホホバオイルとプロポリスに出会ったんです
強烈に紹介する現地ガイドさん達、勢いは凄かったです
最初は、興味もなく殆ど自由にガイドさんに任せていたのが、今度は私が一番勧めるオーストラリアの
お土産として、現地ガイドさんが勧める前に私が予約販売をするように...
まあ、売るとお小遣いも稼がせてくれたのがその時の理由でしたが、実は本当に良い製品で、帰国して
からも買ってきてくれるようにお客さんから頼まれる状況に...

シドニーでは北海道、渡辺真二が定着し、お陰様で現地のラニーさんやボブさんとも知り合い仕事にさ
せてもらいました

チャーター機との出会い

大きな代理店だった為にチャーター機に携わる 偶然チャンスが...
周りは東京6大学などのエリート達、高卒の自分はもまれにもまれる...
カンタス航空、スカンジナビア航空、大韓航空、日本航空、ニュージーランド航空などのチャーター機
を担当

  特に、函館空港から初のオーストラリアへのチャーター機を担当、北海道ではオーストラリア通として
仕事に励む
遊現工房 旅行代理店に勤めている途中から5年かけて遊現工房をハンドメイドで建築
  契約社員に降格させてもらい、工房への道を開く
15年勤めた旅行代理店を完全退職  
遊現工房を開業 現地でお客様に販売していたプロポリスを独自に輸入し販売、生計をたてる
現在も、当時のお客様が購入し続けてくれているロングセラー製品です
途中、アロマテラピーを勉強、指導免許を受ける
  その後、オーストラリアで人気があったホホバオイルの販売も開始
  ハンドメイドハウスの経験を生かし、住宅も自分で建て現在に至る
2012年2月 念願のオーストラリアのホホバオイルのプレミアムインターナショナル社と業務提携し、日本の総代理店
となり、益々オーストラリアとの関係を深めています